- 2011.06.23
- 関の考え方
仙台の現実
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本日、仙台で現地調査。悲惨な状況は未だ何ら改善
されていなかった。
津波によって、全ての窓が流され、中が丸見えの
傾いた家が、死んだように立っている。命の源である稲の苗は流され、田畑の中には、
泥まみれの傷んだ小型船が、無造作に佇んでいる。
その周りには、未だゴミが散乱して居る。防砂林の松は、根こそぎ引き抜かれ、茶色に枯果てて、
崩れた民家の横で、息絶えている。
全ての命は失われた。何とか、難を逃がれた人が
ただ申し訳なさそうに、崩れかけながらも立っている
自宅を某然と眺めている。津波の運んだ瓦礫は、その波のなすが侭に、流されて来た
その場所を自らの居場所のごとく、ただ、蹲った状態だ。先日、国会で成立した復興基本法案は、野党の案を
政府は丸呑みしただけだと、昨日、党役員から聞いた。現地の人の不満は、民主党の与党の国会議員が、殆ど
被災地に廻って来ない事。隅から隅まで確認をする事が
最も大切だ。政治は決断であり、実行である。今の政府が、国が出す
予算を決めないから、各自治体は自分の自治体でのみ対応
できる予算分しか復興に取りかかれていない。決断と実行。政治を図る物差しである。